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| 1999年「スカンジナビアン/ジャパン・コネクション」主催の森泰人に Art's Calendarがメールでインタビューしました。 Art's Calendarにて掲載中のインタビューをまとめました。 |
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99年5月、『森泰人 スカンジナビアン/ジャパン・コネクション』のレポートを掲載したことがきっかけで、森泰人さんとArt's Calendar和田とメール交換が始まりました。Eメールでの取材に応じてくださった森さんへのインタビューです。 遠く離れたスウェーデンと日本で、こんなことが実現するなんてインターネットに感謝! ご自身のコンサートやレコーディング、そして北欧で行われた『森泰人 スカンジナビアン/ジャパン・コネクション』のコンサートのお忙しい中、質問のひとつひとつにとても丁寧に答えて下さいました。 森泰人さんと『スカンジナビアン/ジャパン・コネクション』基礎知識編、です。 Q.ベース(コントラバス)を始めたきっかけは? A.僕は、青山学院の高等部の1年生の時に、ラグビー部に入っていました。そのラグビー部の1年生は、ギターの達者な連中ばかりだったので、秋の文化祭で、当時流行っていた、ブラザース4のような、いわゆるギターと歌のグループを作り、演奏することになりました。 それまで、僕はピアノをやっていましたが、ピアノの出る幕はないようなので僕がベースをやることになりました。 そこで、夏休みにアルバイトをやってベニヤ製の一番安いコントラバスを買った訳です。これがベースとの出会いでした。 Q.ジャズ・ミュージシャンを目指されたのは何があったのでしょうか?事件?曲?…? A.僕は、バッハ等のオルガン音楽などのクラシックで育っていて、ロックも全然知りませんでした。ビートルズは、彼等がインドへ行ったりするようになって、初めて聴いたぐらいです。僕はインド哲学とかにかなり関心がありましたから。 さて、ジャズですが、ベースに出会った頃、ラジオの深夜放送をよく聴いていたのです。ある晩、それがジャズの番組でした。 僕はその奥行きの深さに大変魅了されてしまいました。また、おなじベースでも、これが同じ楽器?と思えるほど、様々な可能性があることがナントナク解り、どんどんジャズに傾倒していきました。 結局、2年生からは、ラグビー部は辞めて、軽音楽部に入りました。後藤次利、林立夫と、日本のニューミュージック界を70年代に背負っていく人達が1級上の先輩でした。後輩には、1級下にピアニストの甲斐恵美子、2級下に当時、鈴木という姓だった、矢野顕子がいました。 高等部の2年生からは全くジャズ三昧の生活が始まりました。やはり高校生でジャズをやっていると同類を呼ぶ訳で、渋谷を中心にジャズをやっている高校生たちと知り合いました。 皆、ジャズを続けるには、大学進学の事もあり、迷っていて、ボストンのバークリー・カレッジというジャズの教育で有名な学校へ入った仲間もいました。僕は、青山学院の経営学部に入りました。 が、大学にはいると同時に、ヤマハから毎月コンサートを企画することを頼まれたり、当時、新宿のピットインというジャズクラブの朝の新人の部に出るようになりました。 都立青山の友人だった井上鑑くんは、今は作曲家/アレンジャーとして大活躍していますが、彼の父上が、有名なチェロの教授で、その紹介で、当時、NHK交響楽団の首席コントラバス奏者だった故小野崎充先生にクラシックの基礎からレッスンを受けることになりました。 Q.ジャズというとやはりアメリカで、だと思うのですが、北欧・スウェーデンで活動しようという理由・魅力は? A.北欧の音楽と音楽家の質の高さは、かなりのものです。また、こちらにはブルースに通じる、メランコリックな、しかも美しいメロディーが古くからあります。 また、スウェーデンでは国がジャズをかなり高く評価して、クラシックと同様の援助等をしています。 ジャズは軽音楽というよりも、スウェーデンのミュージシャンの個性による、即興演奏と考えられていますから、社会的にもミュージシャン達は高く評価されています。 難点は、スウェーデンだけの人口が、わずか870万人ですから、マーケットが小さい点だと思います。 が、ポップなども含めると、著作権料の輸出額がアメリカ、英国に次いで3番目に大きいのがスウェーデンです。 『スカンジナビアン/ジャパン・コネクション』について Q.コネクションを始めようとしたきっかけ、思いは? A.日本のジャズクラブに150通程の仕事の照会を送った歌手がいたのですが、返事が一通も来なかったという話が、こちらでは有名な話で、僕が、ジャズミュージシャンとしての僕を育ててくれた、スウェーデンと日本のジャズ界に何か貢献できるのは、やはりこれしか無い!と思ったからです。1983年に日本から高瀬アキさんのカルテットを呼んだことから始まりました。 Q.スカンジナビアン/ジャパン・コネクションは、今回で何回目ですか? A.来月の帰国で、11回目だと思います。 Q.そのペース、ローテーションにルールはありますか? A.草の根運動的にやって行こうと思っています。年に2〜3回はこうした活動をやってみたいと考えています。 Q.北欧での反響は? A.非常にポジティブな反響です。GPというスウェーデンで3番目に大きいイェーテボリの新聞が大々的に僕の事、『スカンジナビアン/ジャパン・コネクション』についてインタビューをやってくれたり、ジャズステージという雑誌もこのことについて、2ページの記事を書いてくれています。 Q.このコネクションは、お一人で動かしているのですか? A.一人ですが、最近、知り合いの輪がどんどん増えて行って、例えば今回のツアーのチラシとポスターは東大と東工大の連中が、やってくれています。その他にも、何人か手伝ってくれている人達がいます。 さて、森さんとスウェーデンの「コネクション」についてです。 Q.スウェーデンに住まわれるようになったのは? A.僕がスウェーデンへ行ったのは、いろんな要素が重なりあってそうなりました。日本のジャズからしばらく離れようと思っていましたが、他の仲間の様に、ニューヨークやボストンとは考えた事がありませんでした。が、結婚の事も含めて、カリン(奥様)と知り合って、北欧というのがなんとなく未開拓な響きがあって行ってみたくなった、というのが本心です。 もし僕がスウェーデンへ行っていなかったら、カリンともいずれ別れていることになったと思います。人生というのは、こういう縁みたいなものがあるのかもしれません。僕もスウェーデンへ行きたいのが先か、カリンが先かというと、やはりカリンだったといえます。が、日本を離れてスウェーデンへ行ったのは、やはり、日本のジャズの環境を離れる必要性を感じたからだと思います。 Q.奥様はどんなかたですか? A.スウェーデン人で、彼女は、19歳からモデルをやっていて、ニューヨークとかパリ、シドニーとかにいましたが、スウェーデンの大学も出ていて、現在ソシアルワーカーの仕事をしています。 メールでのインタビューは、活動の資料的な部分や概要を中心に伺いました。 11月25日に来日される森さんとメンバーの皆様には、蒼々たるジャズ雑誌陣に先駆け、日本で一番先に「アーツ・カレンダー」がお話を伺えそうです。実際にお目にかかってのインタビューで、どんなお話を聴かせていただけるか、演奏とともに楽しみです。 |